当たり前過ぎて忘れていたこと

点滴、水差し、テーブル台、木、水、アンプ、ヘッドフォン、マイク、

 きっかけは、ふと町中で、全ての振動が一斉に聞こえたらどんなリズムが世界に広がっているのだろうかと想像したことだった。

 2011年の大地震を経験してから振動に敏感になった。「地震か」と体を強ばらせて身構えていたら、自分の心臓で揺れていたということが何度かあった。自意識過剰な自分が可笑しいやら恥ずかしいやら一人で照れ笑いをしながら、また元の生活

に戻る。そして「つまり、みんな生きてたんだな」と真面目にこの出来事を思い返して考察する。

 今まで一度も気が付かなかったのに、自分の震動に敏感になった。「揺れ」は地球も人も同じように生きている証拠なのだと思った。全ての人は震動している。その震動の音が一斉に聞こえてきたら一体どんな感じがするだろうか。周りにある全ての、規則正しく生きる震動を一斉に聴いてみたいと思った。「世界は生きている」という事実と向合いたかった。

 

 それぞれの速度を守りながら振動する複数の音が聴くたもの装置を作ることにした。一定速度で滴る複数の点滴を用意し、その水滴音と外音をマイクで拾い、音を聞かせる。採取される音に特別な仕掛けは施さない。ありのままの音をヘッドフォンから流した。

 実際、音の内容は雨水が地面を打つようなものだろうと予想出来る音ではあり、またその通りだったのだが、やってみるとこの装置はまた新しい世界との向合い方を提示したのだと感じた。起こっている光景を眺めながら、妙なエコーのかかった外音と水滴の落ちるかすかな音を耳元で聞く状態は、日常をどこか違うものに変えていた。更にそれは見る者であり聞く者(鑑賞者)を半ば強制的に梗塞する。何気ない日常を改めて凝視させる装置として機能していた。